村上虹郎は父・村上淳の勧めで俳優に!親子関係や共演時のエピソードを紹介

話題の俳優として名前が挙がることが多い村上虹郎さん。

高い演技力と存在感が魅力で、人気ドラマや映画に多数出演しています。

今回は村上虹郎さんと父・村上淳さんの親子関係や共演エピソードなどについて調べてみました。



村上虹郎の父は俳優の村上淳

村上虹郎さんの父は俳優の村上淳さんです。

村上淳さんが23歳の時に、虹郎さんが誕生しました。

今でこそ仲が良い父子ですが、村上虹郎さんは子供の頃、多忙で構ってくれない両親に対して複雑な思いを持っていたようです。

村上虹郎さんと父・村上淳さんは時間の経過とともに、理想的な距離感で付き合うことができています。

村上虹郎のプロフィール

名前:村上虹郎(むらかみにじろう)
生年月日:1997年3月17日
出身地:東京都
血液型:A型

村上虹郎という名前の由来は、両親が『虹が好きだったから』だそうですよ。

個性的な名前なので芸名かと思っていましたが本名です。

覚えてもらいやすい名前なので、芸能活動にも有利ですね。

村上虹郎さんは小さい頃は、おしゃべりな子供だったといいます。

言葉を話すのは遅かったらしく、母親のUAさんが「この子は話せないのかな」
思った矢先に一気にしゃべり出したとか。

小学校からは一人ひとりの個性を尊重するシュタイナー教育を受けて、感性や想像力に磨きをかけながら成長していきました。

2006年、9歳の時に両親が離婚して、村上虹郎さんは母・UAさんに引き取られています。

中学2年生の時に母・UAさんの沖縄移住に伴い、沖縄の中学校へ転校。

高校はカナダのモントリオールに留学して、勉強以外にバスケットボールや乗馬にも打ち込んだそうです。

カナダに行ってからも父・村上淳さんとはスカイプで連絡を取り合っていて、芸能界入りを勧められました。

母・UAさんは猛反対でしたが、村上虹郎さんはオーディションに挑戦することを決意。

結果は不合格でしたが、映画の世界を知りたくて頼み込んで美術部に採用してもらいました。

そこで実際に働いている姿が評価され、映画『2つ目の窓』のオファーが届いたのです。

村上虹郎さんは2014年に映画『2つ目の窓』で主演を務めて、芸能界デビューを果たします。

この作品では、第29回高崎映画祭・最優秀新人男優賞を受賞

翌2015年には『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』に出演しています。

大ヒットした同名アニメの実写版で、村上虹郎さんのドラマ初主演作です。

2016年にはドラマ『仰げば尊し』で、不良生徒たちのリーダー役で出演しています。

同ドラマは新田真剣佑さん、北村匠海さんなどイケメン俳優が共演していたことでも
話題を呼びました。

村上虹郎さんは記憶に新しいところだと、2021年にNHK朝ドラ『カムカムエブリバディ』で、白石萌音さん演じる主人公の安子に、一途に思いを寄せる雉真勇(きじまいさむ)役を演じて好評でしたね。

年々演技に磨きがかかっているので、今後どんな役に挑戦するのか非常に楽しみです。



村上淳のプロフィール

名前:村上 淳(むらかみじゅん)
生年月日:1973年07月23日
出身地:大阪府
血液型:O型

村上淳さんは10代の頃は、スケートボードに明け暮れる日々を送っていました。

「将来スケートボードで食べて行きたかった」と言うほど夢中になっていたようです。

そんな村上淳さんに転機が訪れたのは、音楽プロデューサーの藤原ヒロシさんとの
出会いで、モデルとしてデビューすることになりました。

村上淳さんのモデル時代の同期には、反町隆史さんや竹野内豊さんがいたそうで、
豪華な顔ぶれに驚きますね!

人気モデルとしてあっという間に頭角を現した村上淳さんは、当時を振り返って
「本当にチヤホヤされていた」と語っています。

村上淳さんは、1992年に『アルファベット2/3』で俳優デビュー。

翌1993年には『ぷるぷる天使的休日』で映画デビューも果たしました。

この映画デビュー作品の撮影現場では、とにかく怒られたそうです。

モデル時代に周りからチヤホヤされてきた村上淳さんにとって、相当堪えたかといえば
全くそんなことはありませんでした。

「とんでもない意識と志で物を作っている映画の現場に僕はほれたんです」

村上淳さんが怒られてもほれ込むって、よほど映画の撮影現場に魅了されたのでしょうね。

20代のころには「周りに何と言われようが、自称でもいいから俳優でいよう」と決意を固めたそうです。

さらに「30代になったらもっと俳優にしがみついてやろうという気持ち」がより強くなったと言います。

一生付き合っていける仕事を見つけたと喜ぶ村上淳さん。

50代、60代、70代とそれぞれの年代に合わせて、どんな演技を見せてくれるのか本当に楽しみですね!

村上淳の人物像・経歴・性格

村上淳さんというと、過去に人気モデルだった経験もあるし、アパレルブランドのデザイナーとして活躍する一面もあるので、器用でスマートな印象を持つ人も多いのではないでしょうか。

しかし村上淳さんの俳優業に取り組む姿勢からは、「愚直」「粘り強く」「屈せず」といった言葉を連想するほどひたむきです。

例えば村上淳さんは「本は読まないけどホンは読む」そうです。

自分が出演する作品の原作は読まないけど、もらった台本は読み込んで真っ黒になるとか。

台本の中で鳥のさえずりが出てくると、そのさえずり声を調べるようです。

○○通りという通りの名前が出てきたら実際に歩いてみるといいます。

時には想像上の絵も描くので、台本が真っ黒になるのは読み込んだ証。

「台詞を口にする役者が情景をイメージできなかったら、観客に伝わるわけがない」と思って仕事に向き合っているそうですよ。

村上淳さんは心底、俳優業が好きで、仕事に誠実に向き合っている様子が分かりますね。

またクランクイン5日くらい前に、オファーが来ることもあるようです。

「いろんな人に断られて断られて自分の所に話が来たんだな」と気づくそうですが、それでもスケジュールが空いている限り引き受けるといいます。

主演じゃなくてもいいから後に残る(高く評価される)映画に出会うまで、できるだけ多くの作品に出たいからだそうです。

そして村上淳さんといえば、周りの人に感謝の気持ちを持ち続けている人

人気モデルだった村上淳さんは、演技の勉強をしてから芸能界入りしたわけではないので、
最初は現場で戸惑うことも多かったとか。

でも先輩俳優や監督、スタッフなどから教えてもらったり学ばせてもらったりしたので、演技を磨くことができ、今日まで生き残ってこれたと感謝しています。

長年俳優として活躍できる人は、やはり人間的にも魅力がありますね!

(村上淳の経歴)
(主なテレビドラマ出演作品)

・1992年『アルファベット2/3』(フジテレビ系)
・1995年『たたかうお嫁さま』(日本テレビ系)
・1998年『天うらら』(NHK)
・2004年『恋する京都』(NHK)
・2008年『ハチミツとクローバー』(フジテレビ系)
・2013年『八重の桜』(MHK)
・2015年『シメシ』※主演(毎日放送)
・2018年『グッドドクター』(フジテレビ系)
・2020年『24JAPAN』(テレビ朝日系)
・2021年『DIVE!!』(テレビ東京)

(主な映画出演作品)

・1993年『ぷるぷる 天使的休日』
・1997年『失楽園 』
・1999年『trancemission』 ※主演
・2000年『新・仁義なき戦い。』
・2003年『船を降りたら彼女の島』
・2009年『ニセ札』
・2014年『2つ目の窓』
・2018年『銃』
・2020年『初恋』
・2022年『島守の塔』※萩原聖人とのW主演



村上虹郎は子供時代、芸能界が嫌いだった

村上虹郎さんは子供の頃から俳優に憧れていたわけではなく、むしろ芸能界が嫌いだったと言います。

親が芸能人の場合、幼少期から芸能界に親近感を持つ人もいるようですが、村上虹郎さんは違っていました。

虹郎さんが芸能界に嫌悪感を持っていた理由を知ると、ちょっと切なくなります。

両親に恨みがあったと告白

村上虹郎さんは2018年11月12日放送の日本テレビ系バラエティー番組『しゃべくり007』に出演した際、両親に恨みがあったと告白しました。

「親父も母親(歌手のUA)も忙しかったので、ほとんどおばあちゃんに育てられたんです。だから育ててくれてないっていう恨みがその時期はあったんです。だから漠然と小さいときは『芸能界嫌い』って思ってました」

引用元:modelpress

幼かった村上虹郎さんが、両親の仕事を理解できなかったのも無理はありません。

きっと大好きな両親を、芸能界に取られたような気持ちになっていたのでしょうね。

生き馬の目を抜くと言われるほど生存競争が厳しい芸能界。

村上虹郎さんの父・村上淳さんも母・UAさんも芸能界で生き残るために、必死だったはず。

2人とも本音では、もっと息子の虹郎さんと過ごす時間を取りたかったのだと思います。

ただ当時の事情がそれを許さなかったのでしょう。

親が売れっ子芸能人だと経済的に恵まれる反面、淋しい思いをすることが多くて大変ですよね。

村上淳と嫁・UAの馴れ初め

村上淳さんと嫁・UAさんの馴れ初めですが、2人は芸能界デビュー前にクラブで知り合ったそうです。

同じクラブで村上淳さんがDJ、UAさんが歌っていたようで、職場の同僚として出会いました。

村上淳さんがDJをやっていたのなら、当時からかなりモテたでしょうね。

その後恋人同士になった村上淳さんとUAさんは1996年に結婚

UAさんのお腹の中には新しい命が宿っていました。

両親の離婚理由

1996年に結婚した村上淳さんとUAさんですが、翌年の1997年3月17日に第一となる村上虹郎さんが誕生しました。

しかし結婚して10年後の2006年8月、村上淳さんが33歳、UAさんが34歳の時に離婚しています。

離婚理由について当初は「相性が悪かったから」「すれ違いが多かったから」といわれていましたが、その後UAさんは次のように語ったそうです。

「お互い一緒にいることで、自由な発想やいい影響が生まれなくなってしまった」

アーティストらしい離婚理由ですよね。

若い頃にクラブで出会って、お互い刺激し合える良い関係を築いてきたのでしょう。

でも結婚生活は現実の繰り返しだから、新鮮な関係を維持していくのは大変です。

結局、村上淳さんとUAさんの間に誕生した子供は、虹郎さん一人だけになりました。



村上虹郎は父の勧めで俳優に挑戦

前述したように、村上虹郎さんが子供の頃は両親が多忙で、自分を構ってくれない寂しさから芸能界に対して嫌悪感を抱いていました。

しかし結局は俳優を目指すことになったのですが、そのきっかけを作ったのは父である村上淳さんです。

村上虹郎さんがカナダに留学していた高校1年生の時に、スカイプを通じて父・村上淳さんがこう切り出しました。

「映画興味ある?とある監督が虹郎に会いたいと。もし監督が虹郎でやりたいと思うんだったらそういう話があるけどどう?」

とある監督とは河瀬直美監督のことで、その後に会う機会が設けられたそうです。

子供の頃は、芸能界に否定的だった村上虹郎さんですが、やはり両親が心血を注ぐ世界には興味があったようですね。

村上淳さんは後に、村上虹郎さんを芸能界に誘った理由について、次のように語っています。

「(虹郎は)留学しているはずじゃないですか。なのに朝から晩までスカイプしているわけですよ。この子はいつ学校へ行っているんだろう?」

「話している内容も自分がわからないような状況。役者というのは他者になりきる者だから、他者になりきった時に、今の自分を把握できる。」

引用元:しゃべくり007

村上淳さんは、村上虹郎さんの人格形成にも役立つと思って俳優への道を勧めたようですね。

母・UAは芸能界入りに猛反対

村上虹郎さんに芸能界入りを勧めたのは父・村上淳さんですが、母・UAさんは芸能界入りに猛反対だったそうです。

2018年8月10日放送の『A-Studio』に出演した際に、”初めてのオーディション会場に向かう時、空港でUAさんからあまりにも説教されたため、フライトに遅れた”というエピソードを語っていました。

芸能界の厳しさを知っているからこそ、可愛い息子の挑戦が心配でたまらなかったのでしょうね。

母・UAさんからは「持続力ないよね、あなた精神的に」「早すぎる。人としてもまだ出来ていない」と言われたそうです。

村上虹郎さんも自分の弱さは認めています。

「それは自分もわかっている。言われたら悔しい。図星だし。だから役者を死ぬまで続けるんです」

引用元:情熱大陸を読む

最初は芸能界入りに猛反対していたUAさんですが、現在は遠く離れたカナダから虹郎さんの俳優活動を温かく見守っているそうです。

オーディションに不合格で裏方からスタート

村上虹郎さんは父・村上淳さんに勧められてオーディションを受けましたが、結果は残念ながら不合格でした。

しかし村上淳さんの「しがみつけ。映画の空気を吸っとけ」という言葉を受けてできることをやってみようと決意。

映画というものがわからないので、「何でもいいです。雑用させてください」と電話したそうで、美術部に採用されたそうです。

そして実際に美術部で働く村上虹郎さんの姿を見て、「主役で使いたい」と映画「2つ目の窓」のオファーが舞い込んできました。

「何でもいいからとにかくやってみよう」と頑張ったことが、功を奏しましたね。

しっかりチャンスを掴み取るところはさすがです。



幼少期からの育てられ方

村上虹郎さんは神奈川県相模原市にある小中高一貫校の「学校法人シュタイナー学園」に、初等部1年〜中等部2年まで通いました。

シュタイナー学園では哲学者であるルドルフ・シュタイナー博士が提唱した独自の教育法を実践しています。

競争に勝つことよりも興味を知るという点にウェイトを置いていて、教科書はなくテストもありません

各学年1クラスで、定員26名の少人数制です。

幼少期から感受性や表現力、想像力を最大限伸ばす教育が行われるため、芸術方面に進む卒業生が多いそうです。

村上虹郎さんは父親が村上淳さん、母親がUAさんですから、もともと感性は豊かなタイプだと思います。

しかしシュタイナー教育を受けたことで、さらに俳優に必要な表現力や想像力に磨きがかかったのでしょう。

他に俳優でシュタイナー教育を受けた人は斎藤工さん坂東龍汰さんなどがいますが、皆さんどこかミステリアスな雰囲気があって魅力的ですよね。

現在の親子仲

村上虹郎さんは子供の頃、両親が多忙であまり構ってもらえず、「両親に恨みがあった」と告白していましたが、現在の親子仲は良好のようです。

「幼少期は二人を親としては認めていませんでした。魂を削って表現している二人はやっぱり忙しくて、僕はおばあちゃんに育てられた。のちに別々のタイミングで、二人に謝られました。『自分たちはあなたに十分といえる時間を割いてあげられなかった』と。僕が小2のときに両親は離婚しましたが、それからのほうが親父との思い出は多いです。今は仲いいです」

引用元:AERA dot.

村上淳さんとUAさんは、村上虹郎さんにt対して、子供の頃一緒に過ごす時間をあまり持てなかったことを謝罪していたんですね。

おそらく2人は、虹郎さんをあまり構ってあげられなかったことに、心を痛めていたのでしょう。

でも「悪かった」と思ったら、子供にでも素直に謝罪する姿は素敵ですね。

村上虹郎さんも同じ芸能界に入って、親の立場を理解できるようになり、わだかまりも解けていったのかもしれません。

インタビューの時、二世タレントの中には親の話を好まない人が多いようですが、村上虹郎さんは親の話に触れられるのを気にしないといいます。

「いえ、ぜんぜん気にしません。なぜなら、親が好きだから。“子バカ”じゃないですが、俳優として父を尊敬していますし、僕の中でUAは日本の女性ボーカルではトップです」

引用元:AERA dot.

 

村上虹郎さんと父・村上淳さん、母・UAさんとの現在の親子関係は至って良好のようです。

村上虹郎と父・村上淳の共演作を紹介

村上虹郎さんと父・村上淳さんは2014年に公開された映画『2つ目の窓』と、2018年に公開された映画『銃』で共演しています。

それぞれの映画で共演した際のエピソードをご紹介しますね。



映画『2つ目の窓』共演時のエピソード

こちらは村上虹郎さんのデビュー作で初主演作になります。

村上虹郎さんは家族の絆に悩む、主人公の16歳少年役を演じました。

映画の中でも、村上虹郎さんと村上淳さんは父子役を演じています。

虹郎さんが演じる主人公・界人が離婚して東京に住む父親・篤を訪ねてきたシーン。

河瀨直美監督は村上虹郎さんに、「お母さんとなぜ別れたか聞きなさい」と演技中にメモを渡してきたそうです。

それは台本にはないセリフでしたが、問いかけに村上淳さんはアドリブで返してきました。

映画の登場人物・篤の話なのに、完全に村上淳さんの自伝になっていたと言います。

村上虹郎さんは父・村上淳さんと母・UAさんとの運命的な出会いなど、初めて聞く話に驚いたそうですよ。

村上淳さんは河瀨直美監督が『フィクションとドキュメントの間をどこまでいけるか、追い掛ける』と話していたのを覚えていたらしく、慌てませんでした。

映画でフィクションとドキュメントの間が出てくるなら、観客もかなり見応えがありますよね。

映画『銃』共演時のエピソード

映画『銃』は芥川賞作家・中村文則氏の作品を、村上虹郎さん主演で実写化しました。

村上淳さんは、村上虹郎さん演じる主人公と対峙する、ある男の役を務めています。

2人が親子という枠を超え、いち役者同士として演技合戦を繰り広げる姿は見応えがあります。

親子での共演は『2つ目の窓』以来2回目になりましたが、村上虹郎さんには心境の変化があったそうです。

「前回はド素人対俳優で、共演というか化学反応という感じ。そういった意味では、俳優対俳優として対峙するのは今回が初めてといえる」。

引用元:ABEMA TIMES

村上虹郎さんは映画『銃』の撮影前に、父・村上淳さんに「宜しくお願いします」とシンプルなメッセージを送ったそう。

それに対して村上淳さんも「こちらこそ」と、シンプルなメッセージを返しました。

当人たちよりもソワソワしていたのは周囲の方で、撮影現場で父子は他愛のない話をしていたようです。

ただ撮影中に村上虹郎さんが父・村上淳さんに凄いと思った場面がありました。

「オヤジがあるシーンの撮影のために冷たい床に長時間、微動だにせず横になっていた。あまりにも長いので“寝ているのかな?”と思うくらいの時間。でもオヤジは寝るとイビキがうるさいので、起きているんだとわかった(笑)。オヤジは俳優の仕事として当然のことをしているという意識なんだろうけれど、僕としては『すげえ…』と尊敬。これだけ近い距離で一緒に芝居ができたのは幸せなこと」。

引用元:ABEMA TIMES

村上虹郎さんにとって親子共演は、父・村上淳さんの役者魂を肌で感じる、かけがえのない経験になったようですね。

村上淳が病気で激やせ

村上淳さんは一時期激やせしたことがありました。

頬がこけて別人のようになってしまったので、心配した人も多いと思います。

実は村上淳さんは肝臓の病気を患っていて、薬の副作用が原因で激やせしたと本人が告白しています。

村上淳さんは、20代後半にアルコール中毒にもなったと明かしているので、もしかしたら激やせの原因は肝炎など重い病気だったのかもしれません。

 

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エイズ疑惑のきっかけは元妻UAの告白

村上淳さんが激やせした頃、「エイズではないか」という噂が広まったことがありました。

エイズ疑惑の発端は、元妻のUAさんがラジオで「エイズにかかっている」と告白したからだと言われています。

当時はまだ離婚していなかったので、村上淳さんは夫婦感染を疑われたようですよ。

でもUAさんが告白した日はエイプリルフールだったので、実際はエイズには感染していなかったそうです。

UAさんは否定したものの、噂が一人歩きしてしまったのでしょう。



村上虹郎には異父兄弟が3人

村上虹郎さんの母・UAさんは2006年に村上淳さんを離婚しましたが、2008年に元モデルでカメラマンの長谷川琵修(はせがわびしゅう)さんと再婚しています。

UAさんは再婚相手の長谷川琵修(はせがわびしゅう)さんとの間に

二男一女をもうけているので、村上虹郎さんには異父兄弟が3人いることになります。

妹は2008年8月生まれ、上の弟は2011年8月生まれ、下の弟は2014年秋生まれで、

家族は生活拠点をカナダに移しているため、弟妹は現地の学校に通っています。

日本とカナダだと頻繁には会えませんが、年が離れている弟妹は、特に可愛いでしょうね。

村上虹郎さんは2018年8月10日放送の『A-Studio』に出演した際に、「妹が誕生した時、へその緒を切った」と明かしていました。

当時、虹郎さんは11歳でしたが、一生忘れられない経験になったことでしょう。

3人の弟妹は母親・UAさんや兄・村上虹郎さんの影響を受けて、将来芸能界入りを目指す可能性もあるので楽しみですね!

世間の反応

 



まとめ

今回は村上虹郎さんと父・村上淳さんの親子関係や共演時のエピソードなどについて
まとめてみました。

子供の頃は両親にあまり構ってもらえなくて、淋しい思いをしたという村上虹郎さん。

しかし現在はわだかまりも消えて、両親のどちらとも良好な関係を築いているようです。

今後も村上虹郎さんと父・村上淳さんがどんな役を演じるのか楽しみですね。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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